「やまゆり97号」が発行されました

日常生活に隠されている宝

鳴く蝉の声にも日々変化がみられます。
先日、ある司祭からこんな嘆きを聞きました。
「うちの教会では日曜日のミサはコロナ前の半分です。心配しています。日本各地で観光客がコロナ前の状況に戻っているというのに、多くの教会で信者の戻りはまだまだのようです」。同感です。
イエスのたとえ話からもそれがうかがえます。「畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」(マタイ13:44)。畑は、コンクリートジャングルに住んでいる都会の人たちにとっては非日常的なものでしょうが、イエスの時代にも、そして私たちのまわりでも畑は日常的なものであり、私たちの日常生活そのものを象徴していると考えることができます。 
日常の生活の中での神との出会い、福音との出会いを実現できた人は、日常の生活がどれほど大切で尊いものであるかに気づき、さらにその生活の中で神との出会いを深め、結果として日々が楽しく、豊かになっていくことでしょう。「そのまま隠しておき」という言葉が出てきますが、これは、秘密にしておくことではなく、宝を見つけたときのあの喜びを静かに深くかみしめ、味わっている状態のことと言えそうです。
それにしても、あなたの“宝”ってなんでしょう。
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