広報「やまゆり」第98号

世界の平和を求めてミサ

 日本カトリック平和旬間にあたる8月13日(日)に、健軍教会でも平和祈願のミサが捧げられました。約60名が参加しました。今年の平和旬間の行事は各小教区で実施するように求められていました。平和祈願の短冊をつくったり、分かち合いをしたりと小教区ごとに工夫がなされていました。
 健軍教会のミサでは、福音の朗読のあとに、第二次世界大戦後の台湾からの引き揚げ者の一人である井手文弥さんが、台湾にいた頃と帰国当時の様子を語ってくれました。戦時中幼少の頃に聞き、今もハッキリ覚えているという「兵隊さんありがとう」の歌を披露されました。当時の日本の状況が垣間見えました。「長崎の原爆で親兄弟を失った悲しい戦争を二度と繰り返してはならない」と力強く述べられました。
 共同祈願は四つの言語で捧げられました。日本語は野々目洋さんが「78年前の原爆投下後も戦争があちこちで続いています。平和は神が求めておられることです。神の導きに従って平和のために働きましょう」と語り、中国語では蜜モクレイさんが「戦争が引きおこす貧困や飢餓で苦しむ人がでないように、キリストの愛が地上に行われますように」と祈りました。また、ルーマニア語で内田マリア・マヌエルさんが「戦争、いじめ、家庭内暴力、失業などで傷ついている人々の悲しみの心を癒し、希望と勇気を与えてください」。英語ではボーシェン・ダンさんが「私たちの社会が自分の利益だけを追い求める誘惑に打ち勝つことが出来ますように」と、それぞれ平和を祈り求める大切さを訴えました。
 奉納では、平和のための意向で献金が実施され、一人ひとり祭壇の前に置かれた箱に献金を入れました。
 カトリック教会では元旦は「世界平和の日」でもあります。私たちの心に、家庭に、地域社会に、そして全世界に主キリストが約束された平和が訪れますように。

慈しみの聖母像前で祈り

 聖母の被昇天のミサ後に「慈しみの聖母」像の前で祈りをささげました。当日は、心配された雨も降らず、曇り空の下で15名ほどが集まりました。
 共同祈願では、私たちの教会を霊的に、経済的に
支えてくださっている方々の善意が十分に報われますように、マリアにならって父なる神と主イエスを愛することができますように、司祭、修道者を目指す人々がマリアの助けによってさまざまな困難を乗り越えることができますように、などの祈りが捧げられました。
 慈しみの聖母像は、旧さゆり園の園庭に青木悟神父様の時代に、園児たちのためにと建てられていたものを、2020年の閉園に伴い、これからは健軍教会の近隣の人々を守っていただくためにと移設したものです。聖母像の前を通り過ぎる人たちに優しいまなざしを向けられる姿に癒される通行人も見受けられます。これからも聖母マリアが近隣の人々を守ってくださいますように。

フィリピン人共同体が聖母祭

 熊本県に在住するフィリピン人カトリック信者が健軍教会でマリアンフェスティバル(聖母マリア祭)を祝いました。
 このお祝いは毎年この時期に熊本市内の教会で実施されており、健軍教会では2年ぶりです。天気に恵まれた9月23日、約30名の参加者は、聖母マリアの像を抱いて、皆でロザリオを唱えながら教会周辺を行列しました。行列後には英語でミサが捧げられました。ミサを司式した渡辺隆義神父は「聖母マリアにならって神様への信頼の日々を過ごしましょう」と参加者を力づけました。奉納ではホスチアとぶどう酒、献金、ブドウの実が捧げられ、聖堂内には、英語の聖歌が力強く響いていました。
 ミサの終わりに参加者は一人ひとり、祭壇の前に設置した聖母像に感謝と敬意をあらわしました。聖堂内で記念写真を撮り、その後、持ち寄りのフィリピン料理に舌鼓を打ちながら歓談のひと時を過ごしました。
 嶋田ローズ有華さん(武蔵ヶ丘教会)の話。「私たちは、行列、祈り、ミサなどで有意義なひとときを持つことができました。フィリピンと日本の共同体の皆さんの協力で、マリア様のご像に家庭から家庭へと巡ってもらっています。その聖母像をママ・マリーと呼んでいます。この催しが人々への愛を広め、全能の神様への信仰を表す機会となることを願っています」。

2023神学院祭 テーマ「タリタ・クム」(起きなさい)

久野 重宏

 11月3日 福岡カトリック神学院にて、2023神学院祭が行われました。
9時30分より開会式と中村倫明大司教(長崎大司教区)司式によるミサが行われました。説教は森山信三司教(大分司教区)がされ、次のように話されました。
 この度、この神学院は神学生の減少に伴って、閉鎖となりましたことは誠に残念なことです。これまで、長きにわたって養成に関って下さった神父様方、また、物心共に支えて下さった多くの方々に感謝を申し上げます。
 この神学院は、かつて軍事演習場であった土地を購入し、1951年2月に校舎が完成し、今年で72年目になりました。この間多くの神学生が学び、司祭に叙階され、各地で現在も宣教司牧活動に励んでおります。今後は、この校舎が新たなミッションを果たし行くことを願っています。
 さて、今年の神学院祭のテーマは「タリタ・クム」(起きなさい)です。12歳になる会堂長の娘が危篤状態となり、彼は愛する娘の為にイエスの前にひれ伏し、何とかしてくれるように懇願し続けます。イエスは彼の願いを受け入れ、一緒に彼の家に向かいますが、途中で娘が息を引き取ったことが報告されます。イエスは娘の所に行き手を取って、「タリタ・クム」(少女よ、わたしはあなたに言う、起きなさい)と言われた。少女はすぐに起き上がって、歩き出した。
 「起きなさい」この言葉は復活すると訳することができる言葉です。復活は何も死後起こることだけではありません。私たちはある意味日々、キリストの言葉に従って立ち上がり、起き上がり、眠りと覚醒を繰り返しながら、最終的に真の復活に与る準備をしているのかもしれません。この世界に頻発する自然災害、感染症の流行、そして悲惨な戦争など、次から次へと私たちを不安や絶望に落とすような出来事が続いています。しかし。イエスは手を差し伸べています。「何度でも立ち上がりなさい。そして人を立ち上がらせる人になりなさい」と。
 教皇フランシスコはおっしゃいます。「現代世界では、あの国この国で戦争がばらばらに起こっているのでは無く、ばらばらな世界大戦が起こっているのです。壁を造る人では無く、橋を架ける人になりましょう。道は黙っていて造られるものではありません。道は歩くことによって造られるものです。平和は手で作るものです。平和の工場などありません。平和は開かれた心で、毎日手で作るものなのです。」
 このミサの中で、これまで神学院に関わって下さったすべての方々に感謝の祈りを捧げると共に、平和の人となるように祈りましょう。

神学院祭に参加して

井上 輝美

 福岡カトリック神学院では神学生が激減し、今年の神学院祭が最後となりました。私は、11月3日に開催された神学院祭に参加しましたが、手取教会の櫻井神父様運転のバスが、朝7時に健軍教会まで迎えに来てくださり、帯山と健軍の信徒23名でした。高速に入ると早速、皆で心を一つにしてロザリオ一環を唱え、賛美を歌い、聖霊に満たされながらの到着です。
 ミサは長崎の中村倫明大司教の司式で始まりました。説教は大分の森山信三司教が担当され、今年のテーマである「タリタ・クム<起きなさい>」(マルコ5:35‐43)について話されました。生きていると不安、絶望などがありますが、何度も立ち上がりなさい。立つことによって完成していきます。神が共にいてくださいます。平和は毎日この手でつくるものです、と、まずは「自分自身が平和になりましょう」と、力強い呼びかけでした。
 広い神学院の土地は、元は軍の土地で2千坪を3百万円で購入され、次の年に7千万円で校舎が建てられてからは、100人以上収容できる聖堂が神学生でいっぱいになったこともあるそうです。聖堂を覗くとステンドグラスから差し込む光が素晴らしく、星空をモチーフにしたバラ窓など、いたるところにはめ込まれたステンドグラスにとても感動しました。
 大勢の方の祈りと支援によって続いてきた神学院が90年間の役目を終え、来年3月には閉校となり、悔い改めの心と共に胸に熱くこみ上げるものがありました。
 教皇フランシスコ来日後の世界は、新型コロナ、ロシアのウクライナ侵攻、そして、現在エスカレートするイスラエルとハマスの戦闘など、あって欲しくないことが起こっています。
 私たちは、この世のことに流されて信仰を失いかけていたようです。私も入退院の繰り返しで、特にこの3年半ほどの間は平和のために祈りました。それも聖母マリア様が私の手に手を合わせて共に祈ってくださっていました。しかし、まだ小さな一人の力です。「起きなさい」という主キリストの言葉に応えて立ち上がり、神の計画の実現のために「一人でも多くの召命を」と、さらなる祈りが必要なことを思い知らされました。

私の家族

ボーシェン 美子

 現在、私は熊本で夫と息子の三人で暮らしています。これは、当たり前のようだけど、まったく当たり前のことではないと思います。
 なぜなら、理由は二つあります。一つは、以前私たち夫も息子の母国であるカナダに住んでいました。そして、息子が三歳から七歳の四年間、夫と私は別れて暮らしていたからです。
 家族三人での生活がかけがえのないことのもう一つの理由が三年前、私と夫が夫婦生活をやり直すことを決め、家族で日本に戻ってきたのですが、まもなくして、夫が突然の事故で脳挫傷で入院したことがあるからです。回復にも時間がかかりました。
 夫は、両親がカトリックで幼い時に洗礼を受けていたのですが、十代の頃、カトリックをやめていました。しかし、別々に暮らしていた時、再びカトリック教会に戻りました。私は夫が退院してからカトリック信者になりました。
 少しずつですが、キリストの教えを学ぶと、家族のこと、自分たちの夫婦の生活がキリストの共同体での生き方の教えを指針としていることに気づかされます。異文化での結婚のもと、傷つき、罪のゆるしが必要である私たち夫婦の再スタートはキリストの教えにあるように、他者への犠牲があってこそ、本当に自分が満たされるものが得られるということを痛感するものです。神の行為に、自分の行為が応答できるように生きることを、家族の大切さを考えるときに改めて考えさせられました。
 私たち三人がこうしていられるのも、先祖、親戚をはじめたくさんの人たちのおかげです。日々を生きていくには、孤独でくじけそうになる時、不安になる時があります。そんな中、希望を捨てないようにします。神と共に生き、隣人と共に生きる人間の姿を理想としながら、課題に取り組み、愛における協働がなされる家庭(隣人との場所)をつくれますようにお祈りし、励みます。これが私に与えられた命の使命であると思います。
 私に、誤解を解き、確かめ合い、忍耐と、誠実さと、ゆるしの機会を何度も提供してくれる家族と隣人の皆さんに感謝して。そして、このように、自分を振り返る機会をくださった神父様に感謝しています。

お知らせ

 聖堂の聖歌掲示板が新しくなりました。従来は
LED電光掲示板でしたが、見易くコストも低いパソコンのモニターに聖歌番号を表示するシステムに更新しました。
 今まで表示できなかった聖歌
の名称も表示されています。このシステムは長崎大司教区大加勢教会(佐世保市)の信者、吉浦さんが開発されたもので今回の当教会への導入にあたってもわざわざ佐世保からお越しいただき、機器
 の購入、設置をほぼ実費でして頂きました。同じシステムが手取教会にも導入されています。吉浦さんに感謝するとともに教区を超えた繋がりを与えて下さった神様に感謝です。(広報委員)

(編集後記)

 昨年末のオルガンの更新に引き続き、今年は聖堂の放送設備と聖歌番号掲示板が相次いで故障し、新しい機材に更新しました。両方とも従来の機材を納入した業者が解らず、決して豊かな財政ではない健軍教会にとって費用の捻出も厳しい状況でしたが、神様は機材の調達方法と費用について道を備えて下さり、立派な設備に更新することができました。神様は私達個人に対してもこのようなお導きをいつもして下さることも感じています。来年も皆様に神様のお導きがあることをお祈りします。
   
主の平和。

野々目 洋