広報「やまゆり」第93号

洗礼の理由

杉本 由美

約50年前、私は父の転勤のために鹿児島市から奄美大島に3年間移り住みました。
その際「信愛幼稚園」と言うカトリック系の幼稚園に通うようになりました。私の家がカトリックだったわけではないので、それまではお祈りなどすることもありませんでした。ですから「父と子と精霊の御名において、アーメン」という御言葉を捧げることも、十字を切ることも、私にとってはとても新鮮な体験でしたが、その意味を理解するにはまだ私は幼過ぎました。しかし週 1 回、お友達と聖堂でお祈りする時間があり、黒い服を着た神父様、そして白いヴェールをつけた一般の信者さんの方々のことは、とても良く覚えています。シスターや神父様と過ごすうちに、私のこころの中に、お祈りの言葉はわすれられないものとなりました。
鹿児島市に戻ってからも、そのお祈りの言葉が心から離れることがなく、教会に行かなくなってもいつも心のそばにありました。
その後、大学を出て、結婚をしましたが、教会へ行く機会はいつもあったのですが、何か違和感を覚え、距離がある感じでした。多分その時はまだ私にとって「時は来」ていなかったという事だったのだと思います。
しかし、4年ほど前から、健軍教会でお勉強をさせていただく機会が出来、それを通して私のこころにカトリックの教えがスムーズに入ってくるようになりました。何故か懐かしさを感じる気持ちで、神父様に教えを説いていただきました。その頃から「やはり私はここへ来るようになっていたんだ」と思うようになりました。コロナ禍と言うこともあり中断の時期もありましたが、多くの貴重なお時間を神父様に割いていただき、心より感謝しています。
神父様から、いよいよ「洗礼」のお話を頂いた時、心中に「ようやくたどり着いた」という安心と充実の気持ちがあふれてきました。そして代母の大迫様に「私が洗礼を受けてもよいのでしょうか」と尋ねた時、大迫様が「時が来たのですよ」とおっしゃり、私もその通りだと実感しました。
そしてあっという間に洗礼式を迎えました。こころの準備は出来ていたつもりだったのですが、「果たして私は神様の子供として、良き生活ができるのだろうか」という疑問が出てきました。本当に緊張しましたが、他方では今日これから新しい私の人生の始まるような新鮮さを感じることが出来ました。
洗礼式の後、御ミサに行って典礼聖歌を歌う時、約50年前の小さな私が居場所を今や見つけているような感じで御ミサを預かっているのです。
記憶に刻まれている歌を歌う時、私は幼かった私を振り返りながら、始まったばかりのキリスト者として生きていこうと思っています。
私自身はもう60歳を前にして、学ぶ時間は、他の方より短いのかもしれません。ですから一日一日を大切にし、勉強と祈りを通して、少しでも他者に寛容になれるとともに、生きとし生けるものに優しく接するように前に進んでいきたいです。

時の流れに身をまかせ

西村 英治
   
時の過ぎるのは早いものです。桜も満開の時を過ぎ、葉桜の季節になりました。
「すべての事には時がある」と旧約聖書コへレトの言葉3章1節~8節にありますが、聖書では、時について、クロノスとカイロスという二つの言葉が用いられています。
クロノスは、時間的には将来に向かうものとして考えられています。それゆえ、時間の中に生きるということは、将来に向かって進んで行くことを意味します。私たちの時間には始めと終わりがあります。1日の時間が24時間で終わるように。このような時間がクロノスつまり歴史にほかなりません。
一方、カイロスは、新約聖書では、イエス・キリストの誕生と死という出来事において、神、すなわち永遠なるものが歴史という時間の中に入ってくることです。こうして、聖書は、新しい創造が、つまり永遠の時間が始まったことを語っています。
ということで、クロノスとカイロスの両方の時間の中に生かされているキリスト信者の私として、かつ、カトリック健軍教会の一員として、今日までの自分の時間の流れを振り返ってみます。
2017年に天草のカトリック本渡教会で堅信の秘跡を渡辺神父さんより受けてカトリックの信者とさせていただきました。翌年にカトリック崎津教会に籍を移しました。当時、天草の崎津、大江、本渡の3教会の主任司祭は渡辺神父さんでした。
私は、プロテスタントの教会で洗礼を受けました。長いプロテスタントでの信仰生活でたくさんのことを学びましたが、カトリックになってからも多くのことを学びました。たとえば、カトリックのミサ(プロテスタントでは聖餐式と呼びます)では、聖霊によってパンとぶどう酒がキリストのからだと血に変化する化体説(実体変化説とも呼ばれる)を信じていますが、プロテスタントのバプティスト派では、パンとぶどう酒はパンとぶどう酒のままだと理解しています。ですからプロテスタントでの聖餐式は記念として行います。
今、カトリックのミサに出席させていただき、ご聖体をいただけることは何よりの喜びです。
健軍教会には、昨年の3月からお世話になっていますが、静かでおとなしい教会という印象を持っています。
健軍教会での信仰生活は毎日楽しいです。愛と喜びと平安に満たされています。教会の行事にはできるだけ参加したいのですが、私が住んでいるところは八代郡氷川町ですので、なかなかできないのが悩みです。これから、多くの教会行事や集まりに参加して神様に愛されるように励みます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

ウクライナとロシアを聖母マリアの汚れなきみ心に奉献する
教皇フランシスコと心をあわせて

カトリック中央協議会Websiteより

 ロシアによるウクライナへの武力侵攻は、まもなく二ヶ月になろうとしていますが、残念ながら戦争状態は継続しており、平和とはほど遠い現実が、毎日のように報道されています。
 いのちが危機に直面しているこの状況を憂慮され、平和を求めるために様々に努力を続けておられる教皇フランシスコは、聖母の取り次ぎによる平和を求めて、去る3月25日(金)神のお告げの祭日のローマ時間午後5時(日本時間3月
26日午前1時)に、聖ペトロ大聖堂において、ロシアとウクライナを聖母マリアの汚れなきみ心に奉献されました。
当日のために準備された祈りを掲載します。聖母の取り次ぎによって、神の平和がこの地上にもたらされ、特にウクライナの地に平和が確立されますように、また賜物であるいのちがその尊厳を守られますように、教皇様と心をあわせてともに祈りをささげましょう。
                               日本カトリック司教協議会 会長
                                 カトリック東京大司教 菊地功  
(注)上記文章はやまゆり発行時期に合わせ、趣旨を損ねない範囲で編集しています。

ロシアとウクライナのマリアの汚れなき御心への奉献の祈り
(教皇フランシスコの奉献の祈りの一部です)

神の母、わたしたちの母マリアよ、この苦難の時、あなたにより頼みます。母
であるあなたは、わたしたちを愛し、わたしたちのことをご存じです。わたした
ちが心に抱くことは 、何一つあなたに隠されていません。いつくしみ深い母よ、
わたしたちはあなたの優しい計らいと、平和をもたらすあなたの存在をたびたび経験してきました。あなたはいつも、わたしたちを平和の君であるイエスのもと
に導いてくださるからです。
聖なる母よ、悲惨な罪の中で、疲れと弱さの中で、悪と戦争という理解しがたい不条理の中で、神はわたしたちを見捨てることなく、愛のまなざしを注ぎ続け、わたしたちをゆるし、再び立ち上がらせようと望んでおられることを、あなたは思い出させてくださいます。神はあなたをわたしたちにお与えになり、あなたの汚れなきみ心を教会と人類のよりどころとしてくださいました。神の恵みによって、あなたはわたしたちとともにいて、歴史の最も厳しい曲がり角においてもわたしたちを優しく導いてくださいます。
わたしたちはあなたにより頼み、あなたのみ心の扉をたたきます。あなたは、愛する子であるわたしたちをいつも見守り、回心へと招いてくださいます。この暗闇の時、わたしたちを救い、慰めに来てください。
神の母、わたしたちの母よ、あなたの汚れなきみ心に、わたしたち自身を、教会を、全人類をとくにロシアとウクライナを厳かにゆだね、奉献いたします。わたしたちが信頼と愛を込めて唱えるこの祈りを聞き入れてください。戦争を終わらせ、世界に平和をもたらしてください。あなたのみ心からあふれ出た「はい」ということばは、歴史の扉を平和の君に開きました。あなたのみ心を通して、再び平和が訪れると信じています。あなたに全人類の未来と、人々の必要と期待、世界の苦悩と希望を奉献いたします。 アーメン。
© Caritas Japan

難の主日:教皇、復活祭の停戦を呼びかける

VATICAN NEWSより

教皇フランシスコは、受難の主日の「お告げの祈り」で、「武器を置いて、復活祭の停戦に入るように」と呼びかけられた。
教皇フランシスコは、4月10日(日)、バチカンで司式した「受難の主日」のミサの後半、「お告げの祈り」を唱えられた。
祈りに先立つ説教で、教皇は、「神にできないことは何一つない」(ルカ1,37)という、主の天使がお告げの中でマリアに言った言葉を繰り返された。
「神にできないことは何一つない。たとえ、終わりが見えない戦争、たとえ、毎日非武装の市民に対する残忍で冷酷な虐殺を目の当たりにする戦争であっても、それを止めるために、神に祈ろう」と教皇は招かれた。
復活祭を前にしたこの日々、わたしたちは罪と死に勝利した主イエス・キリストを記念するための準備をしている、と述べた教皇は、その勝利は罪と死に対してであり、誰かに対してではない、と指摘。

大分教区の新司教に福岡教区司祭・スルピス森山信三神父が任命

2022年4月5日 、教皇フランシスコは、これまで空位が続いていた大分教区の司教として、スルピス森山信三神父(福岡教区司祭)を任命しました。
福岡教区Websiteに以下のアベイヤ司教のお祝いのメッセージが掲載されました。

書籍「世界遺産 キリシタンの里」のご紹介

広報担当 野々目 洋

「世界遺産 キリシタンの里 長崎・天草の信仰史をたずねる」
本馬 貞夫 KUP選書2 (一財)九州大学出版会¥1,980 をご紹介します。
とても読みやすい本ですが、単に世界遺産の教会群を訪ねた紀行文ではなく、イエズス会などによる布教の足跡を丁寧に辿ると共に、潜伏キリシタンの信仰について洞察していますので読みごたえがあります。崎津集落などの天草の潜伏信仰については12ページを割いています。本文中には大きくはありませんが綺麗なカラー写真も多数掲載されています。書店にはあまり並ばない本だとは思いますが購入して後悔はされないと思います。
なお、熊本市立図書館には蔵書があります。

(編集後記)

主のご復活、おめでとうございます。若葉萌える中にご復活の喜びを感じていますが、同時にウクライナの方々の悲しみと苦しみに心が痛い日々でもあります。カトリック中央協議会からの呼びかけに応えて教皇様と共に一日も早い平和の訪れを主に祈ることを忘れない毎日にしたいと思います。
  主の平和。

野々目 洋