広報「やまゆり」第97号

令和5年度信徒総会を終えて

   信徒会長 清田 征一 

5月21日、信徒総会を開催することが出来ました。
当日の出席者は30名、委任状提出者19名、合計49名でした。
例年通り、開会の祈りをもって始め司祭、会長の挨拶に続き、役員、委員、各種団体の紹介を行いました。
審議に入り、主審司祭から教区の財政について次の3項目の説明がありました。
    ① 司祭給与の支払いが小教区から福岡司教区へ変わったこと。
    ② 小教区から福岡司教区への負担金が変更されたこと。
    ③ 小教区で当面使用計画がない金子(きんす)を司教区に預けること。
その後、4年度の会計決算、5年度の会計予算案の審議が行われ、記載不十分なところについては善処することとして承認されました。
小教区の一般事項として、5年度に旧さゆり園を学校法人マリア幼愛園が使用する予定についての話がありました。
全員で閉会の祈りをもって令和5年度の信徒総会を終わることが出来ました。ありがとうございました。

アベイヤ司教様公式訪問

    久野 薫 

5月14日(復活節第6主日)福岡教区長・ヨゼフ・アベイヤ司教様と主任司祭の渡辺神父様の共同司式ミサが行われました。
司教様は、今日の福音の箇所は(ヨハネ14・15-21)でしたが、ヨハネの福音は、イエス様の生涯の意味を深めています。「私を愛しているなら私の掟を守る」とあります。掟とは何か、当時は律法の概念がありましたが、イエスは「私を愛しているなら私の掟を守る。私の掟とは「互いに愛し合うこと」」と言われました。
また、「21世紀を生きている私達福岡教区は、共に祈り、交わり、奉仕する三本柱が大切です」と語られ、「司教、司祭、信徒が一緒に話し合い、これからどこに力を入れていけばよいかを話し合いたいと思っています。特に、青年達に参加してほしい。教会の青年離れがありますが、彼らも課題を持っていると思いますし、考えている一つは一週間位かけての巡礼です。二つ目はボランティア。これを教会と結び付けていけたらと思います」とも語られました。
「教区の経済問題もありますね。高齢化の問題もありますし、どのように教会を支えていくか。また、洗礼を受ける人が少なくなってきていると言われることもあります。教区の共同体が魅力を失っているのかも知れません。初代教会の人達から2000年が経っています。共に祈る共同体、奉仕をする共同体、であるように恵みを願いながらミサに与りましょう」とお話しされました。
ミサ後は信徒会館の方に場所を移し、司教様を囲んでの昼食と懇談会が行われました。スペインご出身の司教様に、スペイン民謡として日本に伝わっている「追憶」を、シスター益田のピアノ伴奏、早田さん、池田さん、久野の3人が歌をリードし皆さんで合唱しました。
司教様は、昼食後の皆さんの質問にもお応え下さいました。そして、司教様は、今年の9月頃までに、福岡司教区としての新たな宣教司牧方針を示したい。司教、司祭、信徒が一緒になって話し合いたいとお話しされました。財政面においては、小教区の預貯金の資産運用を考え、教区と連携し、人経費、活動費、建物の維持管理費などが検討されていくとお話しされました。そして、司教様は再度若者の教会離れについて触れられ、私達一人ひとりも教会の未来を考え、無関心ではおれないと思いました。

私の洗礼

   ヨハネ 久野 重宏 

私は約50年前、カトリック信者である家内と横浜で出会い、結婚し、横浜の金沢教会の近くのアパートに住むことになりました。
ある日曜日に家内の案内で金沢教会を訪れ、初めてミサを体験しました。
ミサが終わり、帰ろうとして教会の庭におられた神父様の横を通り過ぎようとした時、「おい、黙って通り過ぎるなっ!」と呼び止められました。私はビックリしました。私は神父様が信者の人たちとお話しされておられたし、初めて教会に行った私のことなど気にされていないと思って、挨拶もせず神父様の横を通り過ぎたという訳です。こわい神父様だと思いました。
その後、洗礼を受けるため、要理の勉強を始めることになりました。
神父様は、毎回ブランデー入りの温かい紅茶を入れてくださいました。
要理の勉強は、初めてなので理解するのが難しかったけれど、神父様は「蟻は人間の存在に気づかないが、人間は蟻の行動を上から眺めることができる。このように、人間は神様の姿は目には見えないが、神様は天から私たちの行いを見つめておられる」と話されました。これだけは、今でも覚えています。
 勉強を始めて一ヶ月過ぎた頃、熊本に引越ししなければならなくなりました。私は、神父様に「急に熊本に引越しすることになりました。勉強をし始めてまだ一ヶ月ですが、洗礼を受けさせて下さい」とお願いしました。いま思えば無茶なことを言ったと思いますが、神父様は快く許可してくださいました。
 洗礼式は熊本へ行く前日の夜、神父様と代父の方と私の3人だけで、特別にしていただきました。神父様は「洗礼名は『・・・・』にしましょう」とおっしゃいましたが、無知な私は「そんな聖人の名前は聞いたことがありません。ヨハネにしてください」とお願いしました。ヨハネという名前はどこかで見たことがあったからです。いま思えばあの時、何とおっしゃったか分かりませんが、有名な聖人の名前を私の為に選んで下さったのだと思います。
 その神父様は、17年前に96歳で亡くなられました。わずか一ヶ月だけの出会いだったので、私のことを覚えておられるかどうか分かりませんが、天国から見守っていてくだされば、嬉しいです。

洗礼のお恵み

   久野 薫

私は50年前の「聖母の被昇天」の祭日に洗礼を受けました。
中学生の頃、叔父さんの家でお世話になっていました。高校受験を前にして、叔母さんから「経済的に進学させてあげられない」と言われ、がっかりしました。けれどもその叔母さんから「島崎にある看護学校を受けてみたら、お金もあまりかからないと思うから」と勧められ、私は希望が見え受験しました。
一次試験の学科に受かり二次試験は面接でした。面接は修道女が3人で、いくつかの質問をされました。覚えていることは、「叔父さんのお店の手伝いはどんなことをしていますか?」と聞かれ、私は「貸し本の表紙付け、薪の配達、化粧品の販売を手伝っています」と答えました。すると修道女は「化粧品は、何が売れますか?」と聞かれたので「マダムジュジュクリームです」と答えましたら、3人の修道女はなぜか笑い転げておられました。わたしは、いっぺんに緊張が解け面接試験はうまくいきました。
無事に合格し、学科が進むにつれて病院での実習は、現在は「こうのとりのゆりかご」でよく知られている慈恵病院でした。寮は全寮制で毎朝5時半に起床し、6時には聖母マリア像の前に跪いての朝の祈りをし、クリスマスには、夜中の12時からの修道院の大聖堂でのミサに全員で与っていました。学生は、私を含めほとんどが信者ではありませんでした。
ある日、祖父が危篤との電報が来て、宗教の時間に習っていた天国や地獄などのことが頭によぎり、「死んだら祖父の魂はどこにいくのだろう」と急に不安になりました。すぐに修道女にお願いして一緒にバスに乗り、祖父の家に行きました。
危篤状態の祖父は、仏壇の前で寝ておりました。親戚の人たちがかしこまって見守っている中、修道女が「おじいちゃん、神様のおられる天国に行きましょうね」と言葉かけをされた後、祖父に洗礼を授けられ、間もなく息を引き取りました。
それから卒業して、姫路の聖マリア病院で看護師の仕事をしている時に、修道院の聖堂で私は洗礼を受けました。けれども、そこでは定時制高校に行くことが出来ませんでしたので辞め、紹介する方に恵まれて、神奈川県の国立相模原病院に代わりました。そして、定時制高校も卒業し高等看護学校にも進み、国家試験に受かってからは、横浜市の大学病院で働いておりました。その頃、横浜市内のYMCAでギターを習っている時に主人と出会いました。
祖父の洗礼、そして結婚を機に主人も洗礼を受け、教会に行くようになりました。その後、子供3人と孫4人、私の両親、姑、私の姉2人、主人の姉と15人を洗礼に導くことが出来ました。「洗礼の恵み」は大きく広がり神様に感謝しています。

平和のために

   中2 川端 駿介 
  
「あなたが考える『平和』ってなんですか」そう質問されたとき、あなたはなんと答えますか。家族と平凡に暮らせることだったり、貧困などがなく世界が平等であることなど、さまざまな考えがあると思います、自分は、核戦争を含めた全ての戦争が世界からなくなることなのかなと思います。今、日本では「平和ボケ」というものが問題になっていることを知っていますか。平和ボケというのは、第二次世界大戦から長い年月が経ったことにより、若者からその悲惨さが薄れたり忘れられていってしまうことです。それによって日本は戦争とは関係がないという錯覚が生まれてしまうのです。もちろん平和であることが一番なのは分かっていますが、そのせいで戦争の恐ろしさを忘れてしまうとなると考えさせられます。今、ロシアとウクライナの間で戦争が起こっています。しかしその多くはニュースなどでしか現状を知ることはできません。しかも、それを見たほとんどの人はそれを他人事としか思わないわけです。それは、戦争を身近に感じたことのない人間だからこそなのだと思います。
そんな私たちにも、寄付をするなど、一人ひとりにできることも少なからずあると思います。また、戦争のことについて知るというのも平和への第一歩へとつながると思います。自分もこの機会に一度、平和とはどんなものなのかについて考えてみようと思います。これからも、不自由なく生活できていることを当たり前だと思わずに暮らしていきたいです。

     中1 川端 琉斗 
  
みなさんは『平和』と言う言葉を聞いて何を思いうかべますか。僕は、ふだん平和についてあまり考えたことがありませんでした。平和とは、誰もが差別を受けずに暮らせて、戦争や暴力がない社会だと思います。しかし、本当にそれだけが平和なのでしょうか。よく日本人は、幸福度が低いと言われています。それは、幸せだと感じることが少ないからだと思います。例えば、誰かと一緒にごはんを食べる事や、フカフカのベッドでねる事、幸せに暮らせる事があたり前だと思っていて、日ごろ様々な事にありがたみをもっていないので自覚がないのだと思います。
僕もよく、勉強をしたくないと思う事があります。でも世界には、勉強をしたくても学校にも行けない子ども達や、お腹いっぱい食べられない子ども達がたくさんいます。また、世界中で起きている災害によって、今も苦しい生活をしている人々がいます。そのことを僕達は忘れてはいけないと思います
誰かと一緒に過ごす時間や笑い合える時間、いろんな不安を少しでも忘れられる時間が世界中に来るといいなと思います。
あたり前のことに感謝の気持ちを忘れずに、これからも教会に来て、お祈りをしたいと思います。

主の過ぎ越しの食事を体験して

  清田 陸子

4月2日主の受難のミサの後、旧さゆり園々舎のホールで31名の参加(内子供3名)で過ぎ越しの食事の体験をいたしました。
聖書講座に参加している者が準備を整え予習も致しました。肉が羊(ラム肉)を使用することでラム肉はどこにでもなく御船町のコストコにあるということでそこまで買いに行きました。マッツァ(種なしパン)は小木曽さんに作っていただきました。
過ぎ越しの祭りは別名「種なしパンの祭」とも呼ばれます。イースト(酵母パン種)を使わない種なしパンを食べるところからきています。このパンを食べるのはユダヤ人がエジプトを脱出した時、時間がなくて普通のパンを食べることが出来なかったことに由来しているそうです。
苦菜とパセリは早田さんが植えていらっしゃるということで持ってきていただきました。そしてハロセット(りんごを刻んでブドウ酒やシナモン、ナッツ等を混ぜた物)を用意しました。塩水に浸して苦しみの涙を象徴するパセリ、かつて神殿で捧げられていたいけにえの肉を代償する羊のすねの骨、春の訪れを象徴する焼いた卵などがおかれます。
また定められた通りの順序や方法で飲んだり食べたりするワインやマッツァが用意され、式次第にそって進められました。
これを通して、イエズス様が最後の晩餐の場面で聖体の秘跡を制定されたのかを再現しながら体験いたしました。

(編集部より 本寄稿は4月上旬にご提出頂いておりましたが編集の都合上、本号での掲載となりました。掲載が遅れましたことをお詫び致します。)

皆さん、よろしく

     マリアテレサ 岩永 幸子 
  
私は昨年6月に、千葉県市川市から、故郷熊本に戻りました。現在は熊本市東区保田窪で姪と暮らしています。
今から60年ほど前、手取教会の敷地内に聖マリア学院がありました。学院長は、アイルランド出身のP.ダイヤモンド神父様でした。
私は、学院では20年以上、洋裁科と和裁科で教えていました。生徒数は、洋裁、和裁合わせて200名くらいいました。洋裁はパターンをおこし、裁断し、仮縫いをし、体型に合わせて出来上がれば、大きな喜びを感じ、満足していました。今とは違い手作りです。
その頃、カトリックの教えを勉強し、ダイヤモンド神父様から洗礼を受けてカトリック信者になりました。洗礼名はマリアテレサです。
その後、時代の流れで、聖マリア学院は閉校となりましたので、新しい資格をとり、千葉県のある教会でカテキスタとして働きました。神父様方をサポートし、要理を教えたり、信仰講座、聖書講座を担当しておりました。カテキスタ時代の充実した日々を懐かしく思い出します。
ふりかえれば、沢山の方々との出会いがあり、思い出深い充実した生活ができて、今は、イエス様、マリア様に感謝でいっぱいです。
渡辺神父様は若い頃から存じ上げております。私が教会に勤務していた頃、アメリカのミズーリ州にありますカンザスシティを訪問する機会があり、その折にも渡辺神父様には大変お世話になりました。
教会退職後は、市川教会に転入いたしました。市川教会時代には、趣味のコーラスやフラダンスをとおして、地域の人々と交流し、私なりに楽しい日々を送れた気がします。
このたび、渡辺神父様との不思議なご縁から昨年12月より、健軍教会の御ミサにあずかることになりました。高齢で、なかなか御ミサにあずかることはできませんが、健軍教会のこれからのご発展を共にお祈りいたします。私

マリアの宣教者フランシスコ修道会日本創立125周年

      マリアの宣教者フランシスコ修道会    Sr.テレジア 内田 雅 
  
渡辺神父さま、信徒のみなさまいかがお過ごしですか。
数年ぶりに健軍教会のミサに与かったのは、今年の枝の主日、丁度アベイヤ司教様訪問の特別な時でした。数名の懐かしい皆様にお目にかかると同時に、ほとんどの方が初対面であることに気づきました。当たり前ですね。修道会に入会して25年がたっているのですから。何と時の流れは早いものでしょうか。建物は昔のままですが、内側は美しく整えられ、転入や受洗で新たなメンバーが参加された健軍教会は生き、動いている旅する教会を表しているようで、うれしく頼もしく感じました。
さて、私の4月の訪問目的は、今年、マリアの宣教者フランシスコ修道会
(Franciscan MissionariesofMary=FMM))日本管区は125周年を祝う中で、ここ、創立の地である熊本修道院で青年女子対象の祈りの集いを始めることをお知らせするためでした。
今から125年前、コール神父さまの呼びかけに応え、差別され見捨てられていたハンセン病者たちのために、5名の姉妹が日本へ派遣されました。初めのうちは病者たちから拒否されていた姉妹たちでしたが、日本語を学び、日本人のように生活し、すべてをかけて奉仕する姉妹達に少しずつ心を開き、病で崩れた足を洗うことをゆるしてくれたことからその関りが始まっていきました。     
その後、彼らの遺児たちのために養護施設や幼児教育施設が、捨てられていた老人のためにホームが、・・と人々の必要に応じて聖母の丘と呼ばれるその敷地内に様々な施設ができていきました。その中には、今、女性と子供たちのいのちを守るために力を尽くしておられる慈恵病院もあります。
この聖母の丘には、いのちの主、イエス・キリストと出会った人々が真のいのちを回復していく物語があります。今、私たちFMMは主によって125年をかけて編まれた物語を共有し、今も、ここで働いておられる善き主を共に礼拝する青年女子をお待ちしています。
今度の祈りの集いは8月25日(日)午後2時から4時ごろまで熊本修道院で行います。信者、未信者と問いません。該当の方をご存じでしたらお声かけをどうぞ、よろしくお願いいたします。どうぞ、ご自由にご参加ください。お待ちしています。

シノドスのための祈り

(聖霊よ、わたしたちはあなたの前に立っています)
聖霊よ、わたしたちはあなたの前に立ち、 あなたのみ名によって集います。 わたしたちのもとに来て、とどまり、 一人ひとりの心にお住まいください。 わたしたちに進むべき道を教え、 どのように歩めばよいか示してください 弱く、罪深いわたしたちが、 一致を乱さないよう支えてください。 無知によって誤った道に引き込まれず、 偏見に惑わされないよう導いてください あなたのうちに一致を見いだすことができますように。 わたしたちが永遠のいのちへの旅を続け、 真理と正義の道を迷わずに歩むことができますように。 このすべてを、 いつどこにおいても働いておられるあなたに願います。 御父と御子の交わりの中で、世々とこしえに。 アーメン。
シノドスを私たちの祈りで支えましょう 2023年10月に開催される「世界代表司教会議」(シノドス)第16回通常総会に向けて全世界の教区が2年間にわたる準備期間の歩みを進めています。  今回のシノドスのテーマは「ともに歩む(シノドス的)教会のため―交わり、参加、そして宣教」というものです。  これまでも定期的に開催されてきた本会議ですが、今回は特にフランシスコ教皇から全信徒・全教区にシノドス(ともに歩む)についての分かち合いを求められていることが特徴的です。シノドスの実りのために祈りましょう。

(編集後記)

クラシック音楽を聴くことは私の大きな楽しみですが、歳を重ねるにつれてバッハの作品、特にヨハネ受難曲とマタイ受難曲が心に染みるようになりました。バッハ自身はルーテル派の信者でしたがカトリック王にミサ曲を献呈しています。
どちらのミサ曲も1時間超える大作ですが非常に美しくなじみのあるメロディーもありますので皆様も機会がありましたらぜひお聴き下さい。   
              主の平和。

野々目 洋(E-mail:hiroshinonome@gmail.com)