カトリック高遊原教会【沿革】

阿蘇郡西原村の高遊原地区は戦後の食料増産対策として昭和22年に生まれた開拓地でした。昭和22年に入植しました頃は戸数も35戸と少なかったのですが、初めの数年間でカトリック信者の5家族が入って来ました。そしてその家族の全てが長崎県上五島の青砂ヶ浦教会所属の信者でした。
その頃はまだカトリック健軍教会は出来ていませんでしたので、高遊原地区はカトリック手取教会の所属でした。年間の祝日になると高遊原地区のお年寄達は前日からカトリック手取教会の庭にあったマリア学院に泊めていただいて、翌朝のミサに与っていたものです。
昭和29年、今の教会の裏手の敷地に、集会場のような教会が建てられました。最初に入植した信徒によって建てられたものです。昭和30年、故・福岡教区長・深堀仙右ェ門司教様による献堂式が行われました。現在の教会は後に機械で引っ張って来て、現在の地に移転したものです。聖堂の柱はその時のままですが、その後、屋根や壁を新しくしたり、香部屋や台所の増築がありました。
創立の頃は、この開拓地までの道路は全くの馬車道でしたので、当時のカトリック手取教会の主任司祭のダイヤモンド神父様方は、バスや車を降りられてからが大変だったろうと思います。数年後に高遊原台地に空港が設置され、それに伴いまして道路も整備されて参りました。そしてカトリック信者の家庭も開拓地を中心に12戸に増えました。
カトリック健軍教会が出来て後に、カトリック高遊原教会はカトリック健軍教会の巡回教会になりましたが、カトリック健軍教会を初めて訪れた時の主任神父様はシーヒー神父様でした。そして、賄いに私達と同じ長崎の五島、青砂ヶ浦教会の信徒だった海辺さんがおられ大変驚きました。海辺さんは、信仰深い家庭の長女で、私達はそのお人柄をよく知っていました。
またその頃には、ブラザー杉山昇先生がカトリック高遊原教会に度々お見えになって、ご指導をいただきました。「古い信者さんがいる間に、堅い信仰を子供に身につけさせなさい」とおっしゃっていたのをよく覚えています。
2000年には、この巡回教会の庭にルルドが出来ましたので、家内とよく祈りに行きます。ルルドの聖母像や聖ベルナデッタのご像は、前任の鵜野神父様が造って下さったもので、ルルドは、その時の巡回教会の会長であった岩崎八郎さんや信徒で作りました。皆さんも、ぜひ、お祈りにおいで下さい。

☆お話をお聞きした岩下由野利さんは2003年にお亡くなりになっております。

高遊原教会教会ルルドの祝福式

ルルド(震災前)
2001年8月4日、19時より、カトリック健軍教会(主任司祭・中村彰神父)の巡回教会であるカトリック高遊原教会の庭に完成した「ルルドの祝別式」が、中村彰神父と共にカトリック若松教会主任司祭の鵜野泰年神父によって行われ、多くの信徒が参加しました。
大きな石を積み重ねたルルドの洞窟はカトリック高遊原教会信徒の汗の働きによるもので、洞窟の中に安置されたルルドの聖母のご像と聖ベルナデッタのご像は、健軍カトリック教会前任の鵜野神父の作成によるものです。
ロザリオの祈りとアヴェ・マリアの賛美の歌を捧げた後、両神父によるルルドの祝別が行われ「ルルドの聖母」のとりなしによる多くの恵みを祈りました。
中村神父は説教の中で、フランスのルルドにおいての聖母のご出現を受けた聖女ベルナデッタのことについて触れられ「ベルナデッタは大変貧しく、字も書けませんでした。聖母のご出現を受けた後迫害も受けましたが、信仰がありましたので、聖母のメッセージをきちんと伝えることが出来ました」と話され、ルルドで祈る時には「身体の癒し」の願いと共に「心の癒し」「回心の恵み」を願うことの大切さをお話されました。

※2016年4月14日と16日の熊本地震により、ルルドは、破壊されてしまいました。が、2018年に再建されました。
震災後
熊本地震では、教会の屋根瓦がとび雨漏りし、庭のルルドも破壊されてしまいました。また、聖堂内のイエス像やマリア像も落ち破壊され天上や壁なども被害を受けましたが、新しい2体のご像が据えられ、天井や壁も新しくなった中で、ミサに与り、その後に、一足早いクリスマス会が行われました。
(聞き取り・久野 薫)