「やまゆり95号」が発行されました

家庭にキリストの平和を

子どもの頃、クリスマスの時期になると、教会とは関係のないボランティアグループが催すクリスマス会に何度か招待されました。
歌を歌ってくれたり、ゲームをしたり、帰りには小さなプレゼントまでいただきました。
そんな催しが今も継承されているのかどうかは知りませんが。確かなことは、あの時の青年たちはもう皆、80歳以上の高齢者になっていること。そして、あの時に子どもだった私を招待してくれた方々に、今、私が感謝しているということです。
クリスマスを祝いたいのにそれどころではない人たちが今年も世界中にたくさんいます。日本にも、私たちの教会にも。戦争のため、貧しさのため、病気のため。残念なことです。そして、申し訳ない気持ちにもなります。クリスマスの喜びを実感できない子どもたちのことが気にかかります。自分のところはそれどころではないという家庭です。両親の不和、家庭内暴力、育児放棄のため。いろんな要因があります。
キリスト者にとって、クリスマスは救い主イエスの誕生を想起する日。喜びと希望を分かち合う日です。この喜びは、何か物をもらって嬉しくなるあの感覚とは違います。それは、イエスが自分にとって本当に救い主だという実体験を分かち合う喜びです。
子ども時代に招待されたクリスマス会。何か物足りないものを感じていたことは事実です。それは、クリスマスがもっぱらサンタクロースの日だったからです。クリスマスの主役は幼子イエスです。イエスを取り囲む母マリアと聖ヨセフです。聖家族を取り囲む名もない羊飼いたちです。
キリストの平和がすべての家庭にもたらされますように。


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